東日本大震災から3年しか経ってない私達

東日本大震災から俺は良くも悪くも人はそれぞれの我や考えが突出するようになったかな。と思った もしかすると震災以前から我や考えが突出してるかもしれないし、今もそんなに突出してないかもしれないけど次の仮説を聞いて欲しい。

東日本大震災が起きた時、比較的余裕のある人は自分自身が出来る事について考えさせられたと思う。

教師なら自分の仕事の事、芸能人なら芸能活動の事、子を持つ人なら親としての役目など。

その中には自分のしてる事を辞めて被災地で支援し続けたりなど全く別の事をしている人もいると思うけど自分のしてる事を続けてる人は、震災以降心の奥底ではっきり決めてる事があるのではないだろうか?

「私はこう言う風に考えるようになりました」もしくは「もういつも通りするしかない」と。

 

例えば俺がここで具体的な考え(反原発についてこう言う風に考えるようになりました)と書けば、親しいと思ってる反原発の人から良い意味でか悪い意味でかの反響が出るかもしれないし(私は原発についてこう考えるようになりました。原発はこう使うしかありません)と反原発原発推進など原発についての考えが大きく2つに分かれたこのご時世、意見を具体的に言ったら自分の人との関わりバランスが崩れるのではないか?

 

そう言う風にある意味繊細な、気を付けなければいけない話題が多くあるので、人は考えを言わない保留と言う選択肢でやり過ごしてると思う。(俺もそう)

 

自分にできることってそう言う言う風に物事を考えて、意見すると言うのもあるしまた原発に限らず例えばオレオレ詐欺集団が、「震災が起こって自分達に出来る事は何か?」と考えた時に、オレオレ詐欺を高度なものにしてお金を頂いて、そのお金を使って物を買って震災復興に貢献しよう」と思ってるかもしれない。

「自分が出来る事」と言うのは綺麗事だけじゃなく、そう言った歪んだ考えをしている側面もあるんだと思う。

自民党が暴走しまくってんだけどもしかするとそう言う考え「私に出来る事は何だろう?」で動いてるかもしれないし、

東日本大震災から3年しか経ってない私達もう震災前に戻ることは出来ないと分かってる。

そして「もういつも通りするしかない」については、

諦めの部分もあると思うし何が起こるか分からないから日常を生きようと言う事かもしれない。